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私たちの一般的な生活の中で、全くの闇と言える空間はあまりありません。

闇につつまれたとか闇のようだとかよくいわれるのは、私たち自身が写真的な

世界における感光材であり、闇自身の内に存在しているからなのです。

そこに偶然、必然を問わず何物かが訪れて来た場合、私たちはそれをきっかけ

として各々の闇をつつんでいるその壁に穴を穿ち、あるいは外界への扉をひら

くといった行為に至るでしょう。

その時初めて闇は消え去り、部屋はほの明るく光を招き入れ、一条の光束は私

たちの胸に映像しているかもしれません。

デッサンやスナップのためにいつもカメラを持ち歩いているという事は、小さ

な闇を1つ、常にそばに存在させているのだとも言えます。

光を受け止める、或いは光にうつってきてもらう、といった私たちの仕事の上

でそれは忘れてはならないことだと思います。

(1991年 日本カメラ5月号 口絵ノート)

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